中途半端な人生だからこそ!〜いい意味で中途半端な人生〜越境者の考え方

本ブログ「なのふら」にはプロモーションが含まれています
本ブログ「なのふら」はプロモーションが含まれています

本ブログ「なのふら」はプロモーションが含まれています

おはようございます。

中途半端な人生継続中のぼくです。

このブログの内容は、中途半端な人生をいい意味ととらえ、中途半端を肯定しています。

今の時代必要な越境者の考え方に沿って共有します。

見出し
1.ぼくは何をやっても中途半端な人生
2.中途半端な人生は越境者になれる
3.中途半端な人生の人こそ人間味がある

スポンサーリンク

1.ぼくは何をやっても中途半端な人生

上記のTwitterでも話していますが、ぼくには、これだ!という特技がありません。

中途半端な人生ですよ。

特技を1つに絞れないですし、何かに長時間猛烈に打ち込むということもなかなかありません。

学校生活も中途半端、バイト先も中途半端、SNS上でも中途半端、家庭でも中途半端、絵を描くのも中途半端、音楽を作るのも中途半端、SNSも中途半端。。。

こんなぼくだからこそ、とにかく思い付くことをやっています。

本当にどれも中途半端。

唯一、誇れるのは「とりあえずやってみる」精神で、何でも一寸だけかじってみることが出来ることです。

本の先っちょだけをかじって、やっぱりつまらなそうだから辞める、という場合の方が多いんですが。

こんな中途半端な人生のぼくです。

でも、ぼくに限らず、ネガティブな意味で自分が中途半端だと思っている子も居ると思います。
中途半端な人生は決してネガティブでもない!!
まぁ、ポジティブでもないのだけれど。
そもそも、優劣というものさしでは測れないのが中途半端な人の特徴です。
たった一人でも、ぼくと似たような次の世代の子だけには、背中を見せられるように生きてます。

その子が共感してくれたり、笑ってくれたら、それでいいかなと。

答えは近々では出なさそーですが、ぼくなりに。

虎視眈々と。

そんなきっかけでこのブログを書き始めました。

2.中途半端な人生の人は越境者になれる

中途半端な人生の人は、越境者になることが出来ます。

今の時代に必要なのは、越境者です。

越境者とは、業界や職種の壁を越えていく人のことを言います。

ぜんぶが中途半端だと、やはりマイナスな形で捉えられることもあるかと思います。

確かに、これまでは1つの職、1つの業界でプロフェッショナルになれる人が重宝されてきました。

中途半端な人は、1つのことを突き詰めることが出来ないので、重宝されないという状況です。

「1つのことも満足に出来ないのか!」

と言われる状況ですね。

これまで経済は、業界という大きな壁がありました。

それぞれの業界の中で、どれだけその業界のことを突き詰められるかと言うのが価値でした。

それは遠い昔のことです。

今は技術の進化、サービスの飽和、有益な情報が誰にでも得られるようになり、業界の壁がなくなってきています。

外食産業が、アパレル、介護業界に進出したり、コンビニ業界が、コーヒー、ビール、ドーナツなどのニッチな業界に進出しているのは誰でも知っている事実です。

この傾向は業界に限らず、職種にも言えることだと思います。

これまで、例えば営業と言ったら客先で商談して売上を上げれば良かった職種でした。

でも今は、エクセルでの表計算は当たり前、パワーポイントでの資料作り、売り方の仕組みを考えたり、やり方を考えたりしないと、なかなか営業として機能しません。

1つのことだけしていたら時代に取り残されてしまうという厳しい世の中になっています。

世の中が変化していく中で、縦横無尽に動ける越境者の存在が必要です。

中途半端な人生を送る人は割と軽々しく越境者になり得ます。

だって、最初から専門性も無ければ、そもそも壁があった時代から何処にも適応出来ていなかったわけですから。

今まで通り、色々なことを中途半端にやっていく。

勿論、それぞれの分野でプロフェッショナルに近づけば近づくほど価値は上がっていきます。

ただ、越境という1つの考え方に、割とすんなり馴染めるのは、これまで中途半端な人生を送ってきた人だとぼくは思います。

3.中途半端な人生の人こそ人間味がある

ぼくは、中途半端な人生の人ほど人間味があると思います。
これからは個人の時代だとか、コミュニティーの時代だとか、複業するサラリーマン最強時代だとか、様々なことが言われています。

働き方も今後、多様化してきますし、労働はコンピュータが代替してくれてなくなる時代。

ベーシックインカムの導入も言われていますし、ブロックチェーンの発展は止まりません。

もうこうなってくると、何が正解か分からない時代。

絶対に成功するという方法論はもはやありません。

そんな中で、ぼくは更に「人という動物」という本質的なところに論点はうつっていくのではないかと思います。

お金の価値も近年稀に見る大きな変動があり、お金を持っているから一生安泰とは言えなくなってきてます。

大切なのは、人としてどうか?
そんな論点になるのだと、ぼくは思います。
この人と一緒に居たいかどうか

この人と一緒にごはんを食べたいかどうか

この人と一緒に仕事をしたいと思うか

この人から製品を買いたいと思うか

あくまで一部ですが、こういった目線が加わって来るのだと思います。

ここでも、有利なのは中途半端な人生を送ってきた人です。

中途半端な人には、どこかしら欠点があります。

場合によっては、それは顕著に現れたりする。

そういった欠点こそ、そのまま人間味と呼べるのではないでしょーか。
この先の未来は、人間味がある中途半端な人生の人が有利だとぼくは思います。
(と、じぶんにも言い聞かせる!w)
中途半端な人生を今も生きているぼくの、自己肯定満載の文章でしたがお付き合いいただきましてありがとうございます。

ということで、中途半端な人生だからこそ!〜いい意味で中途半端な人生〜越境者の考え方でした。

またブログ書きます。

今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

なのふら カバー画像.jpg
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました