まったく喋らない子でもクラスで孤立しなかった理由3コ

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クラスでまったく喋らない子でもクラスで孤立しなかった理由3コッ!!
ぼくは小学校のクラスでまったく喋らなかった経験があります。
場面緘黙症という病気らしいです。
これは、その時は知りませんでした。
クラスでまったく喋らない。
それでも、有り難いことにクラスで孤立しているという気持ちはぼくの中にはありませんでした。
その理由を3コあげてみました。
共有しますね。
見出し
1.クラスでまったく喋らない子でもクラスの子が気にかけてくれた
2.クラスでまったく喋らない子でも没頭出来るものがあった
3.クラスでまったく喋らない子でも役割があった
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1.クラスでまったく喋らない子でもクラスの子が気にかけてくれた

場面緘黙症だったぼくは、クラスでまったく喋りませんでした。
いえ、喋れなかったと言う方が正しいです。
そんなぼくでも、クラスの子たちが気にかけてくれていました。
こちらがどうであれ、話しかけてくれる。
こちらは何も返せないのに、笑わせようとしてくれる。
そのおかげで寂しいと思うことはありませんでした。
これが違うクラスだったら、どうなっていたか分かりません。
まったく喋らないと言うことは、働きかけを自ら出来ない状況です。
これは、自分ではどうしようもない環境によるところなのです。
そういった意味でもラッキーでしたし、今でもぼくはそのクラスに感謝しています。
もし、現在このブログを読んでいる方で、まったく喋らなくてクラスで孤立しているの方が居たとしたら居場所や環境を変えると言うのもありです。
現代では、比較的できやすい環境が整っています。

2.クラスでまったく喋らない子でも没頭出来るものがあった

クラスでまったくしゃべらなくても、退屈することはありませんでした。
クラスで一人で居る時間は、しゃべっていて活発な子と比べたら多くなります。
その時間に、一人で出来ることに没頭出来ました。
ぼくの場合はたまたまそれが絵を描くことだったのですが、人それぞれ没頭出来ることは違うと思います。
今だから分かりますが、結構、一人で出来ることってあります。
というより、一人でしか没頭できないことは溢れています。
自分なりの没頭が出来ることをしていると、周りがそれを見て、誉めてくれたり、関心を示してくれるようになります。
旗からみたら、一人で絵を描いていてたまにクラスの子に話しかけられるという状況です。
でも、ぼくとしたらそれでじゅうぶん、むしろちょうどいい。
クラスで孤立しているという感覚はありませんでした。

3.クラスでまったく喋らない子でも役割があった

クラスではまったく喋らない子でしたが、ぼくにはクラスでの役割がありました。
それは、没頭していた絵を描くことの延長です。
「楽しみにしてるよ」
「面白いね」
「つづきは?」
と声をかけてくれることで、コミュニケーションが生まれてました。
残念ながらぼくはクラスではしゃべれなかったので、一方的に言ってもらえるだけなのですが。。。
それでも、すごく嬉しかったです。
しゃべることが出来ない変わりに、ぼくは絵でみんなを楽しませようと思って描いていました。
それが、間接的なコミュニケーションに繋がっていたのかなと、今はそう思います。
そして、自分が没頭して作ったものを誰かが喜んでくれるというこの上ない喜びを実感することが出来たのもこのおかげです。
ということで、まったく喋らない子でもクラスで孤立しなかった理由3コでした。
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あと、下記のブログも見てもらえると嬉しいです。
またブログ書きます。
今後とも、何卒宜しくお願い申し上げます。
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