コミュニケーションが苦手な子でも、将来誰かの役に立つ人になることは出来る。あるコミュ障の将来の一例

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幼少期にどうしても友達と遊ぶことができず、いつもひとりぼっちだった子が居ました。
先生からも「この子の将来が心配、だいじょうぶなのかしら?」と言われる程でした。
でも、その子は自分が没頭できることを知っていました。
その子の場合は、たまたま絵を書くことでした。
絵を描いている時だけは、自分がコミュ障なこと、ぼっちなことは忘れることが出来ます。
目の前の現実よりも、輝いている世界が彼の頭の中には存在しました。
ある時、一人の男の子がその子の絵を見てうまいね!と声をかけてくれました。
それをきっかけに次々と絵を見に来てくれる子が増えました。
登下校はやっぱりひとりぼっちでしたが、その子は何も気にしませんでした。
絵を書くことで、みんなと繋がっている、ひとりぼっちじゃないという気持ちになることが出来たからです。
はたから見たら、その子はやっぱり変わらずひとりぼっちでしたが、本人はそうは思っていませんでした。
やがてその子は大きくなり、大好きな絵では成功は出来ませんでしたが、ある所に居場所を見つけることが出来ました。
そして、仕事をして、家族を養い、少ないけれども誰かのためになって、充実した毎日を送ることが出来ています。
今でも思い出すのは、表面的にはひとりぼっちだったけれど皆と繋がることが出来た体験です。
コミュニケーションの重要性、本質的なコミュニケーションを知っているのは、実はコミュ障と呼ばれる子たちです。
コミュニケーションがあるのが当たり前ではない経験がある子ほど、不器用ながらコミュニケーションを大切にすることが出来ます。
あるコミュ障と言われた子の将来の一例でした。
目まぐるしく変化していく時代にも、本質的なコミュニケーションの形は変わることはありません。
ということで、コミュニケーションが苦手な子でも、将来誰かの役に立つ人になることは出来る。あるコミュ障の将来の一例でした。
またブログ書きます。
今後とも、何卒宜しくお願い申し上げます。
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