富田重之社長に外食産業を学ぶ!物語を売る。炭焼きレストランさわやか げんこつハンバーグの由来も参考になります。

本ブログにはプロモーションが含まれることがあります
物語を売る。
物語で売る。
これは現代の外食産業で重要視されている考え方の1つです。
この考え方で飲食店を経営されている方はたくさん居らっしゃいます。
今回は、炭焼きレストランさわやかを経営する富田重之社長をご紹介します。
たまたまぼくが、さわやかのハンバーグが大好きという超個人的な動機からです。
共有しますね。
見出し
1.富田重之社長は物ではなく物語を売る
2.富田重之社長!ささやかな男から、さわやかな男へ
3.富田重之が考案したげんこつハンバーグの由来
4.シンボルマークは「爽」ではない
5.さわやかの店舗とHP
スポンサーリンク

1.富田重之社長は物ではなく物語を売る

新しいビットマップ イメージ.jpg
炭焼きレストランさわやかを経営する富田重之社長。
富田重之社長は「単なるモノではなく、物語を売っているんだ」と公言されています。
静岡県に27店舗を展開するげんこつハンバーグのレストランの富田重之社長はこう考えたのではないかとぼくは想像します。
消費者の好みが細分化されて、何が流行る分からない現代。
物語に感動する気持ちは、人間にとって普遍的な感情だと。

2.富田重之!ささやかな男から、さわやかな男へ

それでは、炭焼きレストランさわやかを経営する富田重之社長は、どんな物語を持たれているのでしょうか。
ここでは、富田社長の物語を紹介します。
富田社長(以外富田青年)はもともとは浜松市内の染色メーカーに勤務する会社員でした。
当時の時代背景は、日本が今より良くなるというイケイケの時代です。
更に、富田青年は浜松のメーカー勤務。
ポテンシャルと可能性が溢れるビジネスマンでした。
しかし、自身の身に不幸なことが起こります。
26歳という、若く貴重な時期に結核を患ってしまったのです。
その後、10年間もの長い間、富田青年は療養生活を余儀なくされてしまいました。
そんな療養生活を経て、40歳の時に起業をします。
しかも、当時の富田青年には経験も資金もありませんでした。
外食が好きという気持ちだけ。
これは、現代であればよく聞く話ではあります。
好きなことを仕事にというコピーも定着してきましたね。
でも、当時の時代背景から推測するとまさに人生をかけた大決心だったと思います。
その時に富田青年が掲げたのが「体が弱くてささやかな男から、さわやかな男に」というコンセプトでした。
これが店名の「さわやか」の由来です。
こういった物語を、富田青年、現富田社長はお持ちです。

3.富田重之社長が考案したげんこつハンバーグの由来

さわやかのハンバーグの中で、看板メニューが2つあります。
げんこつハンバーグ(250g)とおにぎりハンバーグ(200g)です。
この2つのハンバーグにも、物語と名前の由来があります。
げんこつハンバーグの由来は、父親のげんこつ。
そして、おにぎりハンバーグの由来は、母親のおにぎり。
両親の愛情料理というコンセプトのもと、ハンバーグの名前が命名されました。
今でこそ、父親からげんこつを食らうという風習や母親がおにぎりを作ってくれるという風習は少なくなりました。
でも、当時の生活者にとっては大変共感できるネーミングだったことは想像するに容易いことです。
炭焼きレストラン さわやかは、お店の名前にも製品の名前にも物語があります。

4.シンボルマークは「爽」ではない

炭焼きレストラン さわやかにはシンボルマークがあります。
一見、漢字の「爽やか」の「爽」に見えますが違います。
漢字の中にある4つの「☓」が「人」に変わっています。
「☓」が集まると大きくなるという漢字の作りから、「人」の集まりが大きくなるという漢字の作りに変えたとあります。
確かに、☓が集まるよりも人が集まることの方が、より「さわやか」なイメージです。
このシンボルマークからは、「マイナス思考」から「プラス発想」への意識と行動の改革を感じることが出来ます。

5.さわやかの店舗とHPとハンバーグを食べた感想

さわやかの店舗は静岡県に27店舗あります。
そして、ぼくがさわやかのハンバーグを食べた感想を下記に共有しています。
記事を書いている今、さわやかのげんこつハンバーグを食べたくなってしまいました。

ということで、物語を売る。炭焼きレストランさわやか社長に学ぶ!げんこつハンバーグの由来も。でした。
またブログ書きます。
今後とも、何卒宜しくお願い申し上げます。
なのふら カバー画像.jpg
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました